分断の時代だそうだ。漠然とひとまとまりの日本というイメージが共有されていた時代は終わり、ばらばらの国家観がばらばらのまま存在している。

アジアの中でも西洋近代の採用に非常に成功した日本、西洋以上に西洋的な国日本。こようなことを誰かが書いていた。それを信じるなら現代は、西洋近代の行き詰まり感に当てられて、日本の自明性が共鳴し揺らいでいる、こんな風にいえるだろうか。その揺らぎは20世紀から定期的に話題にあがる大きな物語の不在が原因の、幾度目かの不安のようであるが。

アイデンティティの不安を抱えるとき、人は別の文脈から自分の輪郭を確かめようとする。

数年前に復刊したスタジオボイスのアジア3部作、そしてその制作チームによるUNLIRICE(*1)に見られるような、アジアの事象の中に日本の事象を区別なく並べることによって、その差異と共時性を炙り出そうとする試みは、そういった世界観の緩やかな反映だったように思える。

ステレオタイプとは、見る側が見られる側を分類する際に貼るレッテルである。見る側/見られる側の区分は外と内に対応し、その線引きは恣意的に行われる。見る側がいなければ見られる側は成立しない。

アジア人のステレオタイプはモデルマイノリティであると言われる。モデルマイノリティがあるということは、その反対にアンチモデルマイノリティがあるという仄めかしになる。マイノリティ同士に逆のレッテルを貼り、対立状態をつくっておくことは統治側の常套手段である。モデルにできない存在であることは暴力的であることを意味するため、モデル側のステレオタイプには非力さや従順さが押し付けられることになる。西洋圏、特に米国においてアジア人男性のステレオタイプが軟弱で女性的なものとなったのは歴史的経緯がある。(*3)

見る側とは大抵の場合マジョリティの側である。マイノリティ側の環境にいるかぎりステレオタイプの呪縛から逃れることは困難だ。わたし達は旅先で、留学先で自分の属性がどのように見られているかを知る。マイノリティ側として異なる環境に移住するときには、このことはアイデンティティ構成上の困難として立ち上がってくる。

ベトナム系アメリカ人1世のHung LaがデザインするLựu Đạnというブランドのインタビュー(2)は興味深いものだった。インタビュアーは初めに、アメリカ人から見たベトナム人について、”ベトナム人はほぼベトナム戦争との関連でのみ捉えられてきた。残虐な体験を経て成長していくアメリカ兵の物語の背景に配役される、子沢山なその他大勢の存在だった。”と彼らへのステレオタイプについて語る。アジア系の移民については複雑な歴史があるが*、ベトナム系移民は中国系、インド系、日系に比べ後続の移民であることで、貧しいステレオタイプと大枠のアジア系のありもののステレオタイプの中に押し込められやすかったことが想像できる。(*4)

移り住んだ世代は故郷を懐かしく思い、2世3世と経るごとにアメリカ人としてのアイデンティティが強くなっていくとすれば、1世はどこかどちらの国にも与しきれないディアスポラ的な根のなさを抱えやすい状況にあるように映る。Hung Laはそのような中でアジア人男性にいやおうなく押し付けられるステレオタイプを更新し、新しいアイデンティティの在り方を想像しようとする。

『アメリカ音楽の新しい地図』(*5)において大和田俊之は、”新しいカルチャーが台頭する際には、しばしばその分かりやすさと新しさの配分がイメージ/ステレオタイプの再生産と書き換えを通して徐々にその国のメインストリームに顕在化する”と書いていた。例えばそれは”ブルースリーをアイコンとするカンフーというアジア系のシンボルが、21世紀のコンペディション(オーディション番組)の場を形成するダンスに更新され”たことや、”メンタルヘルスへの関心や#MeTooムーヴメントの台頭により19世紀以来の中性的なアジア人というステレオタイプがオルタナティブな男性像として掘り起こされた”ようなことである。

これらは長い期間をかけて準備されてきたものではあるが、21世紀に入ってからの状況の変化によって顕在化した現象でもある。Hung Laの目指す”セクシーなアジア人の男”像もこのような流れと彼の経験が合わさる中で立ち現れてきたものと言えるだろう。

Hung Laはブランド名について、”男を「ルー ダン」と表現したら、ちょっと危ないやつという意味だ(中略)ベトナム語が使われたことがなかった場所に、「ルー ダン」と形容されるキャラクターを置いてみたかったんだ。”と語り、また、”ブランド名を考えたときに候補のひとつだったHoài Namは、祖父のペンネームで、ベトナムを忘れないという意味がある。”とも言う。このことはブランドアイデンティティがベトナムと深く結びついていることを意味する。しかし、彼がブランドを肉付けする際に出てくる参照点は、渡辺克巳や橋口譲二といった日本の写真家であり、”『ソナチネ』や『欲望の街』シリーズといった90年代の映画や香港三合会の犯罪ドラマ、さらに2001年のバイオレンス映画『殺し屋1』”といった日本や香港のノワール映画だ。

Hung LaはインタビュアーにLựu Đạnにおけるカモフラージュが果たす役割を聞かれ、こう答える。”アイデンティティを隠すことに通じると思います(中略)溶け込もうとすること、あるいは溶け込まなければならないこと。”Hung Laは、ベトナム性をアジア性の中に溶け込ませると同時に、アジア系全体のステレオタイプを押し広げ、アメリカ社会の中でありのまま生きられるアジア人のロールモデルと作ろうとする。そしてそのアジア性の中には日本のサブカルチャー的なイメージも含まれており、Hung Laの美意識の下でバッドボーイ性を持ったアジアの共通するカルチャーとして束ね直され、再提示される。日本のカルチャーを日本のものとして取り扱うのではなく、アジアという枠組みの中に日本を入れ込み、アジア系にとって取り扱い可能なものに変換する。

そもそもアジア系アメリカ人とは1968年にカルチュラルスタディーズの中から発生してきた比較的新しい概念である。移住時期のばらつきや、排除政策、第二次大戦下のアジア人のなかでのヒエラルキー付けなどそれぞれの文脈の違いから、アジアという傘の下にひとつにでまとまるという意識は薄く、アジアをひとつのものとして感じる共有体験を持っていなかった。いってしまえばアジア系アメリカ人とは、異人種から見分けがつけられないためアジア系と括られてしまうアメリカに住んでいる人種という便宜的な分類としての用語からはじまるのである。

アジアンユナイトの機運がこれまでにない形で現れてきたのは、コロナウイルスによるパンデミックの原因をアジア人に擦り付け彼らを差別・攻撃するイエローヘイトや、それと同時期におこったマイノリティエンパワメント運動としてのBLMが興って以降であろう。このような文脈において、アジアをひとつの文化圏として捉え、その要素を束ね直そうとすることは、見る側にとって区別のつかない他者であるアジア系アメリカ人という抽象的な存在に、内実を与えようとする動きだと考えることができる。

Hung Laは日本の不良が履くボンタンをこんな風に解釈していた。”一応はそっちのやり方に従うが、ふざけんじゃねえよ。そっちの制服は着てやるが、オレたち流に着るからな。”と。西洋との折り合いのつけ方と考えれば、なかなかペーソスのある言葉だと感じるが、それは教師としての西洋が逃れがたくそこにあることを感じさせるからだろう。そしてそれは日本人の立ち位置を指し示す言葉だとも感じる。アジア系アメリカ人のアイデンティティ問題を近代以降の西洋とアジアというアングルのひとつの突端としても捉えれば、教師としての西洋の視線にさらされているのは彼らだけでなく、日本もまた同じだからである。

日本人が素朴に信じる日本のイメージとは、どこまでがまなざす側を内面化したものなのか。ステレオタイプという強力に浸透したイメージを梃子にしてメッセージの伝達を行うためには、彼らがやったように、自身が見られている姿の意味を客観視することから始めなければならない。島国に住んでいることによって、日本人がアジア系であるということを忘れてしまいがちだが、彼らの目線を通すことで、自身が単一のレイヤーの中で生きているのではなく、矛盾する複数のレイヤーを抱え込んでしまっていることが見えてくる。

そのような状況の中で、彼らがアジア系アメリカ人という概念に内実を与えようとするように、西洋の反作用として措定されたものではないアジアの内実を、わたし達は想像することができるだろうか?

(*1)https://unlirice.ooo/v00/

(*2)「Lựu Đạn:アジアの男たちの危険な香り」(ssense)https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/fashion-ja/danger-by-definition-luu-dan-is-hung-las-new-look?lang=ja

「Danger By Definition: Lựu Đạn Is Hung La’s New Look」(ssense)https://www.ssense.com/en-us/editorial/fashion/danger-by-definition-luu-dan-is-hung-las-new-look

「90年代アジアのギャングカルチャーから着想を得たブランド〈LỰU ĐẠN〉」(i-D)https://i-d.vice.com/jp/article/4awkxb/luu-dan-hung-la-interview

(*3)アジア系アメリカ人の歴史については、西山隆行「アジア系アメリカ人とアメリカ政治」

https://www.spf.org/jpus-insights/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_104.html 村上由見子「アジア系アメリカ人文化史の考察 - 移民史にたどる文学と演劇の流れ-」 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/37287/files/atk002004.pdf

(*4)ベトナム系アメリカ人のアイデンティティ形成を巡る歴史については、吉田美津「ベトナム系アメリカ文学とアメリカ社会―難民から第二世代へ―」を参考にした。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/americanreview1967/2001/35/2001_35_21/_pdf/-char/ja

ちなみに現在のアジア系アメリカ人の構成比は中国系24%、インド系21%、フィリピン系19%、ヴェトナム系10%、コリア系9%、日系7%、となっており、ベトナム系は移民としては後続であるものの、割合としてはかなり大きいことがわかる。アメリカ国内でのアジア系全般にも言えることだが、アメリカ国内での彼らの存在感の増加に対し、そのイメージが旧態依然としたままであることもアイデンティティの問題と繋がっているだろう。

(*5)大和田俊之『アメリカ音楽の新しい地図』(筑摩書房),BTSとエイジアン・インヴェイション

n.shukutani